赤穂義士(あこうろうし)ゆかりの吉祥寺 2011年10月19日
すっかり秋を感じる季節になってきましたね。
昨夜は、大阪地区の合同決起会を天王寺で行いました!
総勢32名となると色んな面子が揃って遠目で観察してましたら、
お酒ばかり飲んでいる人や食べ物に夢中になっている人や・・・
楽しく交流させて頂きご馳走様でした!
いやーさすがに午前様になりますと朝もシャッキっと起きれないですzzz(涙)
心のなかで何度も格闘しました(2度寝しました・・・笑)
いつも通り8:20には出社しましたけど!
朝からいつもお世話になっています、四天王寺夕陽ヶ丘駅近くの
中井司法事務所の先生と仕事の打合せ!
先生の自社ビル5階からふと南側のお寺を眺めていると
石造が・・・。
打合せを終え、ものすごく気になったので、
お寺を覗いてみると、
赤穂四十七義士じゃないですか!?
大石内蔵助良雄像
赤穂四十七義士顕彰碑
江戸幕府の庶民への義士信仰への制圧にもかかわら
ず人々の心は 益々 それに引かれていった。
討ち入り後、四十七年目に上演された仮名手本忠臣
蔵の浮世絵によって巧みに表現されていくことに
なった。
義士討ち入り 後 百五十年祭には 当寺では絵
ハガキで配布した有名な木彫を建立したが 惜しくも
戦災により 本堂遺品共々焼失した。
平成十四年義士討ち入り三百年祭に当たり巧みな
石工により その時代の絵巻物の中に義士それぞれ
が再現されたものであり、その緻密さと労苦には頭の
下がる思いがする。
いつの時代にも物質を超越した義士の至誠報恩の
ゆかしい精神はこの討ち入り姿の石彫りで永久に伝承
されるであろう。
-引用-
赤穂浪士っていつも年末にやってますよね!
長時間ドラマで!
ウィキペリアで検索してみると
赤穂浪士(あこうろうし)は、元禄15年12月14日(1703年1月30日)
深夜に旧主浅野長矩の仇である高家吉良義央の屋敷に討ち入り、
吉良義央および家人を殺害した(元禄赤穂事件)元赤穂藩士大石良雄以下47人の武士である。
-引用-
歴史好きな私として魅力的に見てたひと時でした・・・
さぁ昼から新規家主さんと打合せです!
午後からも仕入中心でがんばります(^.^)/~~~
小枝不動産にも出演できそうな特殊物件です!!